髙田賢三氏は、ファッションブランド「KENZO」の創業者で、フランス政府より、芸術文化勲章シュバリエ位、芸術文化勲章コマンドール位、レジオンドーヌール勲章(名誉軍団国家勲章)シュバリエ位、紫綬褒章など数々の賞を受勲している世界的デザイナーです。
1970年に自身のブランドを始め、オーダーメイドで高級志向のオートクチュールではなく、プレタポルテ(高級既成服)を広めることで、より多くの人々がファッションを楽しめる基盤を作り、現在では定番である音楽を使用した華やかで楽しいファッションショーを初めて開催するなど、新たなモードの可能性を提示したパイオニアでもあります。日本の安価な木綿生地を好んで取り入れ、当時のパリでは珍しく、ゆとりのあるフォルムのコレクションが、時代の風に後押しされ人気を博し、「木綿の詩人」と呼ばれるようになりました。また、世界各地の民族衣装を同氏独特の感性で昇華した「フォークロア・ルック」を発表。そのカラフルな色使いは「色彩の魔術師」と世界中から絶賛され、大胆な柄を駆使した楽しいデザインで、誰もが一目で分かる「KENZO」というスタイルを創り出しました。
2020年10月、この映画の撮影中に、髙田賢三氏は新型コロナウィルスの合併症によりご逝去されました。私たちは2018年から二年以上に渡り、賢三氏を撮影してきたため、この映画を作ることができました。賢三氏がこの映画の最後に残したものは、80歳になった彼自身を描いた自画像です。描きかけとなった自画像は、ある意味で賢三氏が未来をどう思い描いていたのかを示しています。
この映画は賢三氏が80歳になった自分と向き合うための自画像制作に密着しつつ、ファッションや彼のライフスタイルを通して、世界中に「自由」と「色彩」と「文化の多様性」を与えた、半世紀以上に渡るクリエイションと葛藤を振り返る長編ドキュメンタリーです。そして歴史上の偉人でもある賢三氏の、最期の二年間を記録したドキュメンタリーフィルムでもあります。
賢三氏は兵庫県姫路市で生まれ、花嫁修行の色合いが強かった神戸の洋裁学校への進学を決意しましたが、男子の入学を断られ、やむを得なく神戸の外語大学へ入学。その後、東京の文化服装学院が男子生徒の入学を受け入れたとの広告を目にし、家出同然で東京に向かい同学院に入学しました。同学院卒業後のその後のパリでの華々しい成功、イブ・サンローランや様々な文化人との交流、最愛のパートナー・グザビエとの出会いと死別、KENZOブランドをLVMHに売却するという究極の選択、そして2020年の新ブランド「K三」の立ち上げ。常に人を楽しませ、喜ばせようとする賢三氏の生き方と情熱は、多くの人々をこれまでも、これからも惹きつけ、新しいことに挑戦するための希望を与えます。
STORY
この映画は賢三氏が80歳になった自分と向き合うための自画像制作に密着しつつ、ファッションや彼のライフスタイルを通して、世界中に「自由」と「色彩」と「文化の多様性」を与えた、半世紀以上に渡るクリエイションと葛藤を振り返る長編ドキュメンタリーです。そして歴史上の偉人でもある賢三氏の、最期の二年間を記録したドキュメンタリーフィルムでもあります。
賢三氏は兵庫県姫路市で生まれ、花嫁修行の色合いが強かった神戸の洋裁学校への進学を決意しましたが、男子の入学を断られ、やむを得なく神戸の外語大学へ入学。その後、東京の文化服装学院が男子生徒の入学を受け入れたとの広告を目にし、家出同然で東京に向かい同学院に入学しました。同学院卒業後のその後のパリでの華々しい成功、イブ・サンローランや様々な文化人との交流、最愛のパートナー・グザビエとの出会いと死別、KENZOブランドをLVMHに売却するという究極の選択、そして2020年の新ブランド「K三」の立ち上げ。常に人を楽しませ、喜ばせようとする賢三氏の生き方と情熱は、多くの人々をこれまでも、これからも惹きつけ、新しいことに挑戦するための希望を与えます。
- 兵庫県姫路市生まれ
- 文化服装学院入学
- 新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞
- 25歳で渡仏
- 31歳でパリに初出店(『ジャングル・ジャップ』)、初コレクションを発表
- 仏政府より国家功労賞・芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受勲
- 仏政府より国家功労賞・芸術文化勲章最高位(コマンドゥール位)受勲
- 紫綬褒章受章、自身が立ち上げたブランド「KENZO」を退く
- 仏政府より名誉軍団国家勲章・レジオンドヌール勲章(シュヴァルエ位)受勲
- 1月 ライフ&スタイル・ブランド「K三(ケイスリー)」を発表
- 10月4日 新型コロナウィルス感染症の合併症のため 81歳で他界
デザイナー・髙田賢三氏の歩み
BIOGRAPHY